呑兵衛の温泉旅行の楽しみは、浴衣に着替え温泉街の佇まいに身を委ね軽く一杯引っ掛けてカラコロと下駄を鳴らして湯を巡ることである。
そんな温泉場の中の一つ西の大関「有馬温泉」の歴史を調べてみた。
有馬温泉は、大阪、神戸から一時間ほどの近距離にありながら、自然豊かで風光明媚な関西の奥座敷と呼ばれる六甲山北麓の紅葉谷山峡にある温泉地なのである。
日本の三古泉(有馬温泉、道後温泉、白浜温泉)・三名泉(有馬温泉、草津温泉、下呂温泉)にも名を連ねている。
昔から皇族・貴族・文人墨客らに愛されてきた有馬温泉の歴史は古く、日本最古泉とも言われ「日本書紀」にも飛鳥時代舒明天皇が有馬の湯を訪れたと記されているのだ。
日本書紀とはなんとまあふるい・・・
が、実はそのまた昔、神様の時代3羽のカラスが赤い水で傷を癒していたのが有馬温泉開湯の由来だと、湯泉神社に伝わっております。
また、かの清少納言が枕草子の中で「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」と言及していのだ。
とりわけ豊臣秀吉は、有馬温泉をこよなく愛し、天正10年大火や戦乱の影響で衰退していた有馬温泉に手厚い保護と援助を行い、また「慶長伏見大地震」で壊滅的な打撃を受けた有馬温泉の源泉の保全や河川工事など、2度にわたって有馬温泉の再建に尽くしたとされている。
平成7年、「阪神・淡路大震災」で損壊した「極楽寺」の庫裏(くり/寺の調理場)の下から秀吉が有馬での湯治に使った「湯山御殿」の浴室・庭園の跡が発見されたことは有名である。